2009年7月20日月曜日

フライブルクへの演奏旅行

昨日、 7月19日(日)のバッハの練習のおり、フライブルク合唱団から、来年の秋、2010年10月24日(日)の演奏会への招待があったとのお話がありました。
まだ予定の段階ですが、招待を受ける旨の返事をしておきましたとのこの。
 やっと待ちに待った、フライブルクへの演奏旅行が実現できそうです。
今度行くと、3回目になります。
  
曲   名: 交響曲第2番 変ロ長調 "賛歌" op.52
作曲時期: 1840年
初   演: 1840 年  ライプツィヒ:聖トーマス教会
楽章構成:
1. Sinfonia:Maestoso-Allegro  →第1楽章
2. Allegretto un poco agitato   →第2楽章
3. Adagio religioso         →第3楽章
4. Alles..               →以下第4楽章(コーラス)
5. Saget..
6. Saget..
7. Ich..
8. Stricke..
9. Die Nacht..
10. Nun danket..
11. Drum..
12. Ihr..
楽器編成:Fl:2; Ob:2; Cl:2; Fg:2; Hr:4; Tp:2; Tb:3; Timp; Str; Sop:2; Ten:1; Chor

※本来は交響曲カンタータ。1~3楽章が管弦楽のみの第1部。残る9曲がカンタータの第2部。

 メンデルスゾーンの交響曲は、シューマンと同じように、番号の大小と作曲時期が一致していなくて、1→5→4→2→3という順に作曲されたようです。
1番と最後の3番には18年の歳月の隔たりがあります。早熟だった故に1番は10代の作品で、3番は33歳の作品。その5年後、38歳にて亡くなってしまうという短い人生でした。
 そして、この「第2交響曲」は、1940年31歳の作品です。
グーテンベルクの印刷技術発明400周年のために作曲されたと言われています。作曲家にとって、印刷技術の進化は心強かったことだと思われます。

 3楽章からなるシンフォニアと、9部に分かれるカンタータの第4楽章を持つ作品で、第9(ベートーベン)よりも、より自由で宗教性が高い作品となっています。

 聖書からの引用や、バッハのコラールも使用していて、キリスト教的要素が強い作品ですが、伸びやかで、屈託のない旋律が充満していて、聴く人を大らかな気分にさせてくれます。
聴きやすく、親しみのある旋律が満載です。

1楽章の冒頭、トロンボーンで奏される旋律がとても耳に残るメロディでできていて、この旋律が、第4楽章のカンタータでも活躍します。
エンディングの決めの場面でも、高らかに、感動的にこの旋律があらわれます。
大いなる感激を味わえるところです。
 瑞々しくも真摯なテノールや二人のソプラノの歌唱を聴いているだけで、ユダヤの出身だったメンデルスゾーンの心からの宗教心を素直に聴き取ることができるような気がします。
   
 何といっても、「マタイ受難曲」を発掘したメンデルスゾーンでもあり、2006年には、「マタイ受難曲」を歌ったこともあり、また、今年の4月末には、神戸にて「メンデルスゾーン編集による”マタイ受難曲”」を聞くことができたりと、今この曲をと言われることに、何かの縁を感じます。
出来ることなら、万全を廃して参加したいと思います。
最近、初心に戻り、バッハを歌えることがとても楽しく感じらるようになっているのですが、これで、ますます普段の練習にも熱が入りそうです。

2009年7月15日水曜日

人間の覚悟

五木寛之著  2008年11月20日初版

「人間の覚悟」とはどういう覚悟なんだろうかと思いつつ、序文をさらさらと開けて、「親鸞」と言う文字が目に付きました。若いころ、歴史上の人物の中で、気になる一人でもあったのです。

親鸞」は平安時代の末から鎌倉期にかけて、新しい大きな思想を展開した人物で、師と仰ぐ法然への帰依の姿勢は、生涯を通じて揺るがなかったのです。

仏教に関しての教えとか、なかなかピンとこない若いころの私には、まだ親鸞が言わんとすることの方が理解できると感じていました。
そのころ「歎異抄」を読んだ記憶があります。

親鸞の言葉(覚悟)
★自分の信心に特別のことなどはない。師である法然上人のいわれたとおりに信じて、ついて行っているだけだ。自分が法然の言葉を信じてついていき、もし師に欺かれて地獄におちたとしても、自分は決して後悔しない。
★「地獄は一定のすみかぞかし」・・・・自分がいまいるのは、悟りすました解脱の世界ではなく、常に人間としての生きる悩みにとりかこまれた煩悩の地獄である。
★「往生還相」・・・・・「往生」とはこの世でいったん死ぬ、と言うこと。そして「還相げんそう」とは、浄土から帰ってくることではなく、うまれかわることを言う。

 つまり、これまでの自分をいったん捨て去ったところから、新しい生活がはじまる。生きたままでの再生こそ親鸞のめざした生活なのではあるまいか。そのためにこそ、私たちは様々な覚悟が必要なのだ。(著者の言葉)
私たちは、私は、そのさまざまな覚悟ができているのか?

2009年7月13日月曜日

BWV67 死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ

2010年2月のコンサートに歌うカンタータ
BWV67 死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ
用途:復活節後第1日曜日
初演:1724年4月16日、ライプツィヒ(再演;年代不明)
第1曲目の合唱が印象的なカンタータです。

1724年の聖金曜日に《ヨハネ受難曲》を初演したバッハは、続く復活節の職務を旧作によってふさいだあと、翌週から新たな創作を始める。BWV67は、その最初の作品である。バッハ事典(東京書籍)

編成
声楽:アルト、テノール、バス、合唱
楽器:コルニ・ダ・ティラルシ(スライド・ホルン)、フラウト・トラヴェルソ、オーボエ・ダモーレ2、弦合奏(ヴァイオリンⅠ,Ⅱ、ヴィオラ)、通奏低音
基本資料:自筆総譜、オリジナル・パート譜
構成
第1曲:合唱(スライド・ホルン、フラウト・トラヴェルソ、オーボエ・ダモーレ2、弦合奏、通奏低音、イ長調、2/2)
第2曲:アリア(テノール、オーボエ・ダモーレ、弦合奏、通奏低音、ホ長調、4/4)
第3曲:レチタティーヴォ(アルト、通奏低音)
第4曲;コラール(合唱、スライド・ホルン、フラウト・トラヴェルソ、オーボエ・ダモーレ2、弦合奏、通奏低音、ロ短調、3/4)
第5曲;レチタティーヴォ(アルト、通奏低音)
第6曲;アリア(バス)と合唱(フラウト・トラヴェルソ、オーボエ・ダモーレ2、弦合奏、通奏低音、イ長調、4/4 - 3/4 - 4/4 - 3/4)
第7曲;コラール(合唱、スライド・ホルン、フラウト・トラヴェルソ、オーボエ・ダモーレ2、弦合奏、通奏低音、イ長調、4/4)

2009年7月7日火曜日

音楽の捧げもの

“ルターからバッハへ” 茂木健一郎著 2009年5月1日初版
バッハを歌っているものとして、興味があり、この本を求めてしまいました。
写真は、J.Sバッハが、1723年~亡くなる1750年までの27年間を過ごした「聖トマス教会」。
聖トーマス教会(Thomaskirche)は、ライプツィヒに所在するルーテル派の教会。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハトーマスカントルを務め、また彼の墓があることでも知られる。

初めに、著者が、若かりし頃、フリードリッヒ・ニーチェの哲学に影響を受けたとあります。
★「冷徹なる世界認識から発せられる精神エネルギーの超新星爆発」ともいえるニーチェの思索は、さまざまなことに悩んだ思春期の「青ざめた時代」に大いなる慰めとなった。(P18)

私も、若かりし頃、いろんな事に悩んでいた頃、ニーチェの「ツァラトゥーストラはかく語りき」を良く読んでいました。なんだか頭がすっきりとした記憶だけが残っています。
ますます興味深く感じ、一気に読み進んでいきました。

この本は、2009年5月の連休のころ、東京で開催された、「ラ・フォル・ジュルネ」のオフィシャル・ブックになっていて、会場でも販売されていたらしいです。テーマが「J.Sバッハ」だったからでしょう。

著者が、2009年1月に、大作曲家J.Sバッハの素顔を求めて、真冬のドイツを訪ねた時のこと。
初日はミュンヘンを経由してライプツィヒへ。そのままミニバスでワイマールへ。
2日目はバッハ生誕の地アイゼナッハを訪問(ワイマール泊)。
3日目は青年バッハの最初の活動の地アルンシュタットなどを訪問(ワイマール泊)。
4日目はバッハ終焉の地ライプツィヒを訪問(ライプツィヒ泊)という旅程。

ルターと200年ほど経って生まれたJ.Sバッハとのつながりを感じて次のように記している。
★マルティン・ルター(1483年~1546年)。ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685年~1750年)。ドイツの文化史上の二人の偉人は、200年近くの時によって隔てられている。それでも、ルターとバッハは、目に見えない絆で結びつけられている。(P57)
★ドイツでは、パイプオルガンと教会は一体のものです。そのことは、バッハの時代も、現代も変わりません。(P129)
★バッハの音楽は、ルターによる宗教改革なしでは成立しなかった。ルターからバッハへと、「魂のリレー」があった。 (ルターも教会の儀式における音楽の役割を重視した人で、ルター自身が、会衆によって歌われる「コラール」を作曲している)
★音楽は、音楽に留まらない。すべてはつながっている。
★私たちは、自然の中の生態系の豊かさを賞賛することを学んだ。教養の力も、同じこと。脳の中に、豊かな生態系ができる。(156頁)
★ルターがそしてバッハが抱いた美しい理想を、私もまた信じる。たとえそれが人間社会の現実によって裏切り続けられるとしても。(P171)
★そしてこの世に人類が存在する限り、さまざまな困難に足をすくわれながらも、精神の高みを目指す私たちの「魂のリレー」は続いていく。(P172)

 バッハが亡くなってから250年余りの時を経ている現代に生きる私たちも、か細いかもしれないけど、バッハとつながっていると思いたいものです。
松山バッハ合唱団でバッハの曲を中心に演奏活動をしていますので、バッハの音楽家としてだけでなく、人としての考えや偉大さを、その曲を通して触れさせてもらい感じることも多いのです。

今度、ドイツへ行くときは、バッハゆかりの地をゆっくりと訪ねてみたいと思いました。

2009年7月5日日曜日

シャルパンティエ真夜中のミサ曲

2009年12月5日(日)道後教会で歌う曲
Messe de Minuit pour Noё1 
Midnight Mass for Christmas
Based on French Carols

For Solo Voices, Mixed Chorus,
Flutes, Strings, and Organ
 
2009年12月に道後教会にて歌う曲の練習に入る。

 4月までは6月のコンサート用の曲と一緒に少しづつ練習していましたが、コンサートが終了した今からは、本格的に練習に入ることになります。
2010年2月21日のコンサートの曲と一緒にやっていくのでこれも曲が多くてなかなか大変そうです。

マルク・アントワーヌ・シャルパンティエ(1634~1704) は、ルイ14世時代のパリで活躍した作曲家です。しかし当時、ヴェルサイユ宮殿ではジャン・バティスト・リュリ(1632~1687)という作曲家が権力を握っていて、ライバル作曲家には発表の場を与えなかったのです。

彼は宮廷には出入りできず、教会の楽長として活動していました。
宮廷音楽家への道を閉ざされたシャルパンティエ(1634~1704) は教会にその活動の場を求め、宗教関係の曲を多く残しています。華やかで流麗なリュリの音楽とは一味違う、優しさとつましい美しさにあふれたシャルパンティエのミサ曲です。

 その題名にもあるように、このミサ曲ではリコーダーの音色が、柔らかく優しく美しく、バロック・ギターの典雅な響きと相まってなんとも暖かなクリスマスの喜びに満ち溢れた曲となっています。 カトリック教会では、(もしかしたらプロテスタント教会のなかでも宗派によっては)クリスマスの24日から25日にかけての深夜にミサが捧げられます。

 このシャルパンティエの曲には、10曲のノエル(フランスに伝わるクリスマスの歌)が使われています。人々に歌い継がれたきた古くからのメロディーは、暖かで素朴な美しさに満ちています。
10曲のノエルの多くは舞曲風です。ブーレがあり、ガヴォットがあり、メヌエットがあり、その旋律に乗って歌われる、典礼に基づいた歌詞との不思議な調和。「グロリア」「クレド」の合唱の高貴さ、美しさ。つつましやかなクリスマスの夜の平和。

 この「真夜中のミサ」こそはキリスト誕生のお祝いに、相応しいように思えます。