2009年4月29日水曜日

バッハの「マタイ受難曲」

★☆2009年4月12日
         神戸にてコンサート☆★ 
 鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンによる、J.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV244(メンデルスゾーン上演稿による)

鈴木雅明(Cond)
レイチェル・ニコルズ(Sop)
加納悦子(Alt)
ゲルト・テュルク(Ten/エヴァンゲリスト)
ドミニク・ヴェルナー(Bas/イエス)
バッハ・コレギウム・ジャパン

 今回、兵庫県立芸術文化センターで演奏されたのは、バッハの死後完全に忘れ去られていた「マタイ受難曲」を100年ぶりに蘇演した、メンデルスゾーン版(1841)によるもの(日本語字幕付き)でした。今年はメンデルスゾーン生誕200周年にあたっています。

 開演前に鈴木雅明氏がマイク片手に、これから演奏する「マタイ受難曲」はメンデルスゾーンの手が入っていること、なかでも「かなり短縮されている」ことを強調して説明されました。

 楽しみに聞いてみると、私たちが2007年6月にドイツ・フライブルクバッハ合唱団のメンバーと一緒に松山で歌ったのとはかなり感じが違っていました。短くカットされていて、子どもたちが歌った合唱も全然ないし、楽器も違っていて、時々違う曲に聞こえる時も・・・・。
でも、こう言う演奏もあるんだなと思いながら気持ちよく聞けました。違う演奏を聴けたことはすごくいい経験でした。

わざわざ松山から神戸三宮まで聞きに行ったかいがありました。
とてもいい気持で、その日は神戸のホテルでゆっくり休みました。

プログラム作成

★☆2009年2月 プログラムの作成☆★
 昨年の10頃、チラシを作ったコーラス団体のコンサートが3月なので、プログラム作成にかかりました。チラシと違って、プログラムはコンサート当日には絶対できあがっていないと駄目なので、遅れないように大変気を使います。

 以前作った時もそうでしたが、今回もプログラムの最後に入れる広告で苦労しました。データがもともとはっきりしてなかったり、こちらで作りなおさなければならなかったりと、とても時間がかかる作業が続きます。一つ一つ確かめながら入れていきます。
 チラシと違ってプログラムの場合は、1色か2色のことが多いので、プログラムの表紙にはチラシを少し作りなおして使います。黒の部分は全て紺色で、ピンクと2色刷りで仕上げました。
ここではPhotoshopが大活躍でした。プログラムはIllustraterで作成。

Skypeを使う

★☆2009年1月 Skype テレビ電話☆★

 インターネットを利用した電話サービスであり、比較的低速な回線やファイアーウォールの内側でも高音質で安定性のある通話が楽しめることが特徴です。一般の電話との相互通話を実現する機能(国によって制限がある)や、Windows、Mac、Linux版ではビデオチャット機能も備えています。
それに全て無料と言うのは、海外にいる友人との連絡には、安くてとても便利です。

 以前会員に登録していたのですが、なかなか相手がいなくてそのままになっていました。再度使って見ようと思い、マイク、カメラをセットし準備OK。
2009年3月に、新しいバージョンに変わり、ビデオもSkypeの画面で大きく見られるようになりました。

 今回は周囲の人が結構使っていて、時々会話を楽しんでいます。画像を送ってくる人はまだ少ないです。相手がパソコンを立ち上げていないと使えませんが、私は、自分が立ち上げてみてコンタクトリストの人がオンラインになっているのを確かめてからコンタクトします。
PCで仕事しながら、電話も持たず話せるのでとても便利です。

すべては音楽から生まれる

★☆茂木健一郎著 2008年1月発行☆★
 アインシュタインもニーチェも音楽を愛し、一生涯音楽に関わっていたと言うことから、音楽とはなんだろう?
哲学者ニーチェは「音楽なしで<生>をとらえることはできない」と語っているようにニーチェにとって音楽は必須のものだったのです。

 音楽は、私にとってはなくてはならないものの一つです。 が、それはどうして必要なんだろう?と言う疑問をずっと持っていました。
 この本がその疑問に答えてくれたような気がします。「やっぱり、そうなんだ」と納得です。

2009年4月28日火曜日

新しいプリンター&ポータブルHDD

★☆2008年10月
プリンターEPSON EP801A ☆★  
 写真のプリントアウトが多かったせいか、調子が悪くなり、新しいプリンターに買い替えました。同じエプソンでスキャナーとプリンターが一体になった一体型プリンターです。
両面印刷もできるのでとても便利です。

★☆ポータブルHDDを取り付ける☆★
 耐衝撃ポータブルHDD  ホワイト HD-PSG320U2-WH
   BUFFALO USB2.0対応
   TurboUSB機能搭載
   320GB


 ポータブルHDDをPCに付けて、データーは全てここに保存するようにしました。チラシやHPのデータが多くなり、CDに落としていたのですが、これも結構量が多くなると管理が大変。古いPCで保存したCDが新しいPCでは読み取れなっかったり時々トラブルもあり、すべてのデータをHDDに保存することにしました。 

 保存したデータがどれで、新しいデータがどれだかわからなくなりそうですが、これをちゃんと判別してくれて、新しいデータのみを新しく保存してくれるソフト(copix)を一緒にインストールしました。

おかげで時々保存をクリックすると、ちゃんと読みとって必要なデータを保存してくれます。HDDの編集もできるし、何よりスピードが早くて作業が」しやすくなりました。

コンサートのチラシ

★☆2008年9月 チラシ作成☆★

 2008年9月15日、米大手証券リーマン・ブラザーズが破綻し日です。その影響力は大きく、世界経済を一変させる出来事となりました。後にこれを“リーマン・ショック”というようになり、金融バブルと借金まみれの過剰消費の米国が先導していた世界経済が崩壊したのです。「100年に1度」の世界同時不況だといわれながらも、危機克服の処方箋も新たな成長モデルも見つからないままです。私個人がどうすることもできないことですが、 これからどうなっていくのだろうと思っていました。 

 2008年9月末、コンサートのチラシの依頼を受け、資料が届いたので、早速チラシ作成にかかりました。10月初めに旅行の計画をしていたので、その前に大体作ってから出発しました。
 旅行から帰って本格的に作り始め、何度か目を通してもらい、手直ししながら作っていき、10月20日仕上げでお渡しすることができました。

 ここ何年間かはWebの方が多く、チラシなど印刷物は久しぶりでしたので、最初は思い出しながらの作業になってしまいました。画像処理はPhotoshopで、チラシはIllustraterで作成。  

パソコン教室のHP担当

★☆2008年5月 パソコン教室のHPを更新☆★
 市民パソコン教室のHPの更新を担当することになり、今までのHPを引き継ぎました。内容を把握するためにHPと市民パソコン教室の資料などを念入りに調べ、少しつづ理解できた所から更新しながら順にページも増やしていきました。HPはそこの内容を理解するのに時間がかかります。
 使用ソフトは Macromedia dreamwever MX2004」。これからは、内容から推して大体月に一度の割合で更新することになると思います。

HP作成 Music Theater “PICNIC”

★☆ 2008年3月 HP作成 ☆★
 以前からHPをつくって欲しいとの依頼があったのですが、4か月のプログラミングの講習も終わり、少し時間ができたので、受けることにしました。
 3月より打ち合わせを開始。その方がお仕事されているので、仕事の合間を縫っての打ち合わせです。
 まず、どういう内容を載せたいのかお話を聞くことから始めて、次はいろんな資料を持ってきていただきました。資料は結構整理して持っていらしたので、それを利用してHPの試作をつくり、後は、Webで見てもらいながら作業を進めていきました。
 
 その方法でやると、そんなに打ち合わせしなくてもメールでのやり取りで訂正、更新を重ねていき、最終的に5月の中旬には全てをお渡しできました。後の更新は、ご自身でやりたいとのことなので、初心者でもできるように、ソフトは「ホームページビルダー12」を使い、内容も初心者が更新できるように作成し、更新の際のマニュアルを付けてお渡ししました。
 
 その後、名刺やチラシなどの依頼があり、HPの時のイラストやデータを使って作成してあげたら、とても喜んでいただけました。HPのデータがあるのでそれを使うと作る方も時間を取らずできるので便利です。
★☆プロバイダーの変更 QuoliaからOCNへ移行する☆★
 2005年から入っていたQuolia がocnに統合されるということで、2008年3月移行する手続を澄ましました。メールアドレスとHPアドレスの変更のお知らせなど~。
HPは一年間はQuoliaのアドレスでも見ることはできるけど、更新などはできないということでした。UPができないのでは新しいアドレスで作るしかないですね。この時期ちょっとあれこれと忙しい時期で、結構面倒でした。

アインシュタイン丸かじり


★☆アインシュタイン 丸かじり 志村史夫著 2007年3月発行☆★
 若い頃、何時だったか忘れましたが何度か アインシュタインの「特殊相対性理論」なるものを解り安く説明してくれている本を読んだことがあります。それでも、あと一息すっきりと理解できない部分が残ってしまうのです。ずっとそれは気になりつつ現在に至っています。

  2007年3月、物理学専門の教授により書かれたこの本を読んで、やっとすっきり理解できたような気がしました。一気に読んでしまいました。以前理解できずぼんやりと靄がかかったような箇所も、理解できたような気がします。説明してくれと言われると、うまく説明はできないのですが・・・・。

 <印象に残った著者の言葉:志村史夫>
光」が関係する現代技術は、アインシュタインが明らかにした「光量子」が直接関係している。 (半導体、IC(集積回路)、マイクロチップ、さらにはコンピューター等)
特殊相対性理論」を理解するためには「光速は不変の原理」と「高速を超えるものはない」ということ、この二つを認めて受け入れられたら理解できる。(本当にそうでした。認められたらすべての理が理解できました。)
世界一有名な方程式  エネルギー=質量×(光速)2乗

物理学を専門とするような人ではない「一般読者」に、「アインシュタイン」を「丸かじり」していただき、人生をより豊かにしていただきたい。

<印象に残ったアルバート・アインシュタイン(1879~1955年)の言葉> 
想像力は知識よりも重要です。知識は限界がありますが、想像力は世界を包み込むことさえできるからです。
理論に至る論理的な道などない。直感によってのみ到達できる。経験に基づくことを知的に考える直観である
重要なのは好奇心を持ち続けることです。好奇心というものは、それ自体に存在理由があるのです。
音楽は研究に直接的な影響はありませんが、音楽も研究も同じ種類の願望によって育てられるものです。そしてその両者は、それらがもたらす効果において互いに補い合うのです。
私は、神がどのようにして、この世界を創造したのか知りたいのです。

<特殊相対性理論>1905年
 光速と質量は本質的に同じもの→エネルギーから物質が生まれる→宇宙の誕生を意味する→生命を生むのでは? <宇宙の誕生>

<結論>「空間と時間を融合」「エネルギーと質量が結び付けられた」 物質に潜んだ巨大なエネルギーを実用化した最初の例が、原子爆弾(原爆)である。
① 時間と空間を独立して扱うことはできない
② 動いている物体の長さは運動方向に縮む
③ 動いている時計の時間は遅れる
④ 動いている物体の質量(重さ)は大きくなる
⑤ 宇宙に光速を超えるものはない
⑥ エネルギーと質量は等価である

<一般相対性理論>1915年
物質には引力が働く。その引力を考えたのが一般相対性理論である。

<結論>「重量の源は空間の曲がり( 時空の歪み)」
 空間(時空)の曲がり具合は空間(時空)に存在する物体の質量と運動(物理学的にいえば、物質のエネルギーと運動量)に依存することになり、その両者の関係を表わしたものが、アインシュタインの「一般相対性理論」の基本式であり、一般に「重力場の方程式」と呼ばれるものである。
 物質の存在が時空に歪みを生み、逆に時空の歪みが物質を移動させるという相互関係が明らかにされ、質量をもつ物体から「万有引力」がはたらくのは、その物体が周囲の空間に歪みを引き起こす結果である。つまり、「重力」の期限が説明された。
 
 さらに、一般相対性理論の最も有名な産物である「ブラックホール(大質量の星が強大な重力で自ら崩壊するとき生じる)」も、ハイテクの現在ではその存在が確認されている。<宇宙の終焉>

これで、宇宙の誕生から終焉までが相対性理論によって説明されたのです。

2009年4月27日月曜日

プログラミングの講習

★☆2007年10月プログラミング講習☆★
 2007年10月1日から毎日4か月のプログラミングの講習を、受講してみることにしました。 4か月続けられるか少し不安はありました。

 以前からプログラミングには興味があり、「Ruby プログラミング基礎講座」という本を読んだり、ネットで「Ruby」入門を経験してみたこともありました。

 
 今回の講習は、「VisualBasic 2005」というMicrosoft社のMicrosoft.NETと言われる技術体系に準じた開発ツールで、NET対応の開発言語を使っての講習です。
 「VisualBasic 2005」は2005年に作られたものですが、2008年にはヴァージョンアップ版「VisualBasic 2008」が出ています。


 初めの3ヶ月はV.Bの説明と練習で、最後の1ヶ月は実際にソフトを開発するというカリキュラムでした。本当に初めての経験です。最初の頃はソフトを作る側の考えに慣れなくて、つい使う側の考えになってしまうのです。途中「もう、ここらあたりでギブアップかな?」と思ったことも何度かありました。


 でも、一つ山を越した時の喜びは今まで経験していない興奮というか喜びを感じて~ついつい夢中になっていきました。気がついたら3か月が終わって、2007年も終わりになっていました。


 2008年の1月は実際のデータベースを使って、検索ソフトを作る作業をグループでやり全て終了です。なんとか皆で協力し、頭をひねって出来上がりました。ホッとする気持と、講習が終ってしまう寂しさと・・・・。今まで使ったことがない頭の隅々まで、隈なく使いきったような爽快な気分でした。
これからは、今までとは違った感じでPCに係わって行けそうです。

フォトムービーに挑戦

★☆2007年8月 今までの写真を使ってフォトムービーを作成☆★
 この頃、HPを作成したり、開けてみたりしていて、動画が多くなってきたことに気が付き、 これからは写真だけというより動画になるのかな?と思いました。でも、ビデオは今まで使っていなかったのです。まずはフォトムービーを作ってみようと思いました。 新しいPCになり動画などもトラブルなく、すいすい動くようになりました。とても快適です。   

 まず、いろんなソフトがあるのでどれが一番使いやすいか体験版をダウンロードして使ってみることに~体験版を使ったソフトは 次のソフトです。
①デジカメ DVD スタジオ ULED
②MOVIE PHOTOGRAPHS
③Life Photocinema
④デジカメdell ムービーシアター2 

 今までの写真を使って、BGMも入れ、いろいろと作ってみて、この中では、③と④が使いやすいなと感じましたが、もう少し探してみることに~。

PCでワンセグ(1seg)テレビを見る

★☆2007年3月 ワンセグ☆★
 2006年に始まったワンセグ(1seg)は、主に携帯電話などを受信対象とする地上デジタルTV放送(地デジ)です。
正式名称は「携帯電話・移動体端末向けの1セグメント部分受信サービス」。

 日本の地上デジタル放送方式では、1つのチャンネルが13の「セグメント」に分割されており、これをいくつか束ねて映像やデータ、音声などを送信しています。
 このセグメントのうち、1つは移動体向け放送に予約されており、これを使って放送を行なうのがワンセグである。帯域が通常放送の1/4と狭いため、QVGA(320×240ピクセル)サイズの低解像度の映像しか伝送できないのです。

  2007年には、ほとんど全てのテレビ局がワンセグ放送を開始し、最近ワンセグという言葉をよく耳にするようになりました。一度これを使ってテレビを見てみたいと思い、ワンセグ用のグッズを購入。この時のPCには、まだ内蔵されていないので、PC用のワンセグチューナーを求めてセットし、専用ソフトをノートパソコンにインストールして使いました。
 画面は小さいけど、はっきりと見えるし、インターネットに繋がなくても、何処ででも見ることができるというのは結構便利です。

★☆大容量(2GB)のUSBメモリーを使う☆★
 USBメモリーがどんどん容量が大きくなって2GB、3GBと出てきました。他のPCでファイルを開けて見たいのに、同じソフトが入っていなくて開けてみることができない事があります。そんなことのないようにソフト毎入れて持ち歩けるので、とても便利です。よく使うフリーソフトも入れて持ち歩いています。

 メールもチャックできるように設定して入れておくと、出先でも急ぎのメールがチェックでき、いつも使うメールアドレスですぐ返事が送れます。
 

グーグル Google

 グーグル Google 佐々木俊尚著 2006年4月発行 
 Googleが今やっていること、やろうとしていることなど、詳しく解りやすく解説してくれている本です。検索エンジンがどうして会社の利益になるの?と不思議に思っていましたが、それが理解できたことは大収穫でした。 
また検索エンジンがどう変わってきたのか、これまでの変遷、これからネット社会はどう変わっていくのか等々・・・・。 とても興味ある内容でした。 
 
 Googleは、1998年スタンフォード大学院生の二人(ラリー・ベイジ、サーゲイ・ブリン)が設立した小さなベンチャー企業だった。その後Googleは新しい検索エンジンの素晴らしいテクノロジーを持って、ここまで大きくなってきたのだという。Googleの持つ独自のポータルサイトとしての役割、キーワード広告の重要性、確実性が少し理解できたら、Googleの素晴らしさというか偉大さにびっくりです。
発想がとても素晴らしい!

 Googleが設立される4年ほど前の、1994年サンフランシスコに行ったおり、シリコンバレーの近くを通ったこともあり、またGoogleの元を作った学生が学んだというスタンフォード大学の構内にも入ったこともあり、興味深くまた身近に感じながら読みました。
 1999年6月に、もう一度ここを訪れた時は、G00gleのことを知っていたので、以前とは違ったあこがれみたいな気持でシリコンバレーやスタンフォード大学を訪れたことを覚えています。

2009年4月26日日曜日

.com Master(ドット コム マスター) の講習

★☆2006年9月~10月 ☆★
 ネットワークのことが少しでも理解できればと思い、「.com Master」(どっとこむマスター)の講習を受けてみました。モデムやアダプタ等の設定を実際に経験できるのかと思っていましたが、というより、「.com Master」の資格を取るための講習で、主にインターネットの仕組みに関する内容でした。
 
 設定等の参考にはならなかったけど、インターネットの仕組み、プロバイダーの事、インターネットの奥で行われていることを知ることができ、とても有意義な講習でした。でも、これは知識としては必要な事だけど、PCを使う側としてはこれ以上深く知ろうとするときりがない世界だと感じました。

新しいパソコン

★☆2006年6月 新しいパソコンWindowsXPが届く☆★
 2002年Xpが出たとき新しくしたPCは、4年間使い続けてきましたが、PhotoshopやIllustratorを使ったりHP作成したりするようになると、これまでのPCではどうしても無理で動かなくなってしまい、新しくすることにしました。2006年6月発売のPCです。

HDD: FUJITSU FMV ESPRIMO FMVE62R111   
Pentium(R) 4cpu 3.60GH2
RAM 2.24GB
C:74.5GB D:74.5GB
OS: Microsoft Windows XP
Professional Version 2002
Service Pack2

ディスプレイ  EIZO FlexScanS1921
斜めから見ても見やすい高画質液晶モニターで、Webデザインに最適。

周辺機器
プリンター  EPSON  PX-G930
スキャナ   GT-9300UF

 これで画像処理もスムーズにいき、HP作成に何の支障もなく快適になりました。
Dドライブのメモリーが大きいので、なるべくすぐ使わないデータはDドライブに保存し活用するように、これを機会にデータを整理してみました。

2009年4月25日土曜日

ウェブ人間論 梅田望夫・平野敬一郎

 2009年1月、ウェブ進化論(2006年2月発行)に続いてウェブ人間論(2006年12月発行)を読む。梅田氏と平野氏の対談で、先のウェブ進化論の続編みたいな内容で、ウェブが進化することでそれに係る人間がどう変わるのか?どう変わればいいのか?など・・・。
 「日本のインターネット元年は、1995年だ」と言う。私は1994年頃にはインターネットを経験しているのにどうして?と、その言葉にひかれて読んでみたくなりました。
ウェブ進化論の中の素朴な疑問にも答えてくれていて、私たち専門家でない人でも理解できるような内容になっています。
 
 Webの歴史を知ると、自分が今までやってきたことと重なり、一度順に整理してみようと思うようになりました。そうすることで今までしてきたことがはっきりと見えてくるのではないかと、そのきっかけになった本でもあります。
 
 ちょうどアメリカに留学していた娘を通して、アメリカのPCの利用状況なども耳にすることができ、今考えると貴重な体験だったと改めて思いました。
私のPCとの関わりと合わせて、アメリカの状況が分かる範囲で書いていこうと思い少しづつ入れていくことにしました。

IPフォンに切り替える

★☆2005年11月 IP電話に切り変える☆★
 やはりIPフォンも便利なので申し込みをすることになりました。 11月、VoIP アダプタが届きました。また、説明書読みながら悪戦苦闘の末、何とか設置をすませました。
  PC2台をインターネットに繋がるようにしたかったのですが、ルーターを使うとIP電話が使えなくなるということでした。無線LANでやってみたりしましたが、この時の私の知識と技術ではどうにもできなくて~。 いろんなモデム、アダプタを理解し、使いこなすことはあきらめました。とりあえずはPC1台とIPフォンを使うことにしました。

VoIP アダプタ   型番 00670018 NTTレンタル

親戚や友人も県外が結構多いので電話代が少しは安くなるかと期待して・・・・。

Bフレッツへ切り替える

★☆2005年5月 フレッツISDNからBフレッツへ切り替える☆★
 2000年から5年間使い続けたフレッツISDNだけど、やっと我が家も光ファイバーが使えるようになり、早速光ファイバーへの変更をプロバイダーQUOLIAに届けて、光ファイバーの工事に取り掛かかりました。待ちに待ったBフレッツ、5月17日から使用開始。
 ISDNのモデムとBフレッツ用のモデムとの取り替え作業。今までも全部切り替えはしてきたのですが、いつもいつもする作業ではないのですぐ忘れてその都度大変でした。
回線終端装置は  B-PON型HA (ルーター機能無)  NTTからレンタル

IP電話も使いたいのだけど、一度に設定するとわけがわからなくなりそうで、後日ということにして・・・・。

Canon EOS デジタル1眼レフカメラ

★☆2005年 Canon EOS デジタル1眼レフカメラを購入する☆★

 写真を撮っているうちにだんだんカメラのことが気になりだし、以前から欲しいなと思っていたCanon EOS デジタル1眼レフカメラを2005年2月にやっと購入しました。なんだかワクワクしながら撮ったものです。
接写が全然違うし、カメラが良いので腕はいらないという感触でした。
 
 このカメラは2009年4月の桜のころまで、4年間使っていましたが、ついにシャターが壊れてしまいました。
HP作成やチラシなどに必要な写真を撮るのに大活躍したカメラなので、ご苦労さまと言って休ませてあげたい気分です。

初めてのブログを作成

★☆ 2005年1月 Exciteで初めてのブログを作成する☆★
 2005年頃ブログなるものを書いている人がどんどん増えていました。どんなものか解らないのでまずは作ってみることにして、あちこちのサイトを調べてみました。
 
写真のUPがやり易くてきれいなところということで、「Exciite」に決めました。
タイトルは「旅の記録&花(2005年)
 
 2004年11月にドイツフライブルクへの2回目の演奏旅行(ブラームスのドイツレクイエム)の記録を載せることにして初めてのブログを1月新年に開始しました。

 それから、旅行記、山登りの時の風景や山の花、行事、四季の花々など、なんでも思いつくことを書いて日記みたいにUPしていったのです。写真をブログにUPすることで、写真のことも少し勉強するようになりました。遠くアメリカやドイツにいる友人、離れて暮らす家族などに近況報告にもなるので、とても楽しんで作っていました。

 2005年から2008年の8月までずっと続けていたのですが、ふと、何だか最初のころと違うな?と思い始めたのです。決まりはないけど、書きたいことが他にあるのかも?と思うようになり、2008年8月末でブログを終了することにしました。

 8か月あまり何にも書かないで過ごしていたのですが、その間、よく本を読みました。読んだ本の中で、PCの歴史みたいなことが書かれていたのですが、結構それが自分も知っていることが多かったのです。それで思いついたのが、私とパソコンとの関わりを最初から整理してみようと。
それをブログに書くことにより、今まで自分が何をしてきたかが整理できて、よくわかるような気がして・・・・。
というわけでこのブログを書いています。

2009年4月24日金曜日

携帯電話用のHP作成

★☆2004年 携帯電話からも見られるHP作成☆★
 いつでも、出先からでも、確かめられるように携帯電話からも見られるHPを作成してみました。使ったソフトは「携快電話7」。このソフトは、携帯のアドレスや写真を一度PCに入れて編集したり、いらなくなったデータを削除したりして、また携帯へダウンロードするためのソフトですが、携帯用のHPも作れるのです。

 後になると、携帯の機種を変えるとき、アドレスも写真も全部新しい携帯に入れてくれるので、このソフトは必要なくなりました。

Googleで調べていく

★☆2004年 Googleの地図利用☆★ 
 2004年11月ドイツフライブルグに行った際、Nacyへの行き方を、Googleの地図で前もって調べていき、航空写真で確かめていきました。おかげでホテルや美術館などへ行く場合も迷うことなく、自分で探していくことができました。
この航空写真は初めてのところでもはっきりと周囲の雰囲気がわかり、とても役に立ちました。

Flash MX & DreamWeaver MX 2004にチャレンジ

★☆2004年 Flash MX と Dreamweaver MX 2004 ☆★ 
 2004年の目標として、HP作成に必要な「Flash MX」と「DREAM WEAVER 」を勉強しようと考えました。ビルダーで作成したHPは、PCをいろいろ変えて開けてみるとなかなか作ったとおりには表示されていないのです。せっかく作るのならと思い、一番どのソフトが良いか検討した結果、この二つが必要だと思いました。

  まず、Flash MX を1月に求めて勉強する。なかなか難しい!
「Macromedia Dreamweaver MX 2004 」は8月にやっと買って勉強を始めました。 こちらの方はまだ何とかなりそう。
★☆HP作成にチャレンジ & 画像処理を利用☆★
 2004年はPCをおおいに活用した年でした。DreamWeaverを使って3本のHPを作成し、更新も随時担当。いろんなところで撮った写真をPhotoshopで修正したりして、加工を施してみました。また、コンサートのチラシ作成、プログラム作成等、昨年勉強したPhotoshop、Illustratorが大活躍でした。

2009年4月23日木曜日

Photoshop & Illustrator & USBメモリー


★☆2003年 Photoshop & Illustratorを勉強する☆★
 1月末から10回のコースで講習を受けました。今までのソフトとは全然操作が違うのでとても疲れました。あとは自分で慣れていくしかないのだろうと思うけど・・・。

 画像の処理やいろんなことができるので、いずれHPを作りたいと考えている私にとってはとても興味あるソフトでした。 
 この年から少しづつHPを作る練習を始めていくことにして、まずは所属しているコーラス団体のHPを試作、4月10日に初めて4ページをUPしました。ページは作りながら増やしていくことにしました。

ソフトは Webオーサリングソフトの「ホームページ・ビルダー7」を使いました。
日本アイ・ビー・エムから2002年11月1日に発売されたものです。
 
 この頃、HPと同時にPhotoshopとIllustratorを使ってチラシを作ったり、プログラムを作ったりしてPCを使うことがとても多くなりました。

★☆USBメモリー登場☆★ 
大量のデータを持ち運ぶのに便利なUSBメモリーを購入。
Easy Disk High Speed USB2.0   250MB

PC3台を無線LANで繋いでインターネット

★☆2002年 無線LANで繋ぐ☆★ 
 2002年4月、ノートパソコン(Mac)が1台、デスクトップのPC(NEC&FMV)が2台となり、どこでも、どのPCからでもインターネットができるようにと、無線LANで繋ぐことにしました。 
 
 無線ルーターを本体に取り付け、あとの2台はカードを使ってインターネットが利用できるようになりました。それぞれが1台PCが必要な時代が来たのです。 WindowsXPあり、Macありと子供たちもそれぞれのPCを持つようになりました。

無線LANルーター(ISDN)    (株)メルコ WLAR-128GS

★☆「携快電話6」を使って携帯からも見れるHPを作成☆★
 この年すでに作成していたHPに携帯から見れるページを加えてみました。出先でもちょっと確かめたいとき便利です。ソフトは「携快電話6」を使ってみました。携帯電話のアドレスや写真をPCに取り入れて編集し、また携帯にダウンロードするためのソフトです。
最近は、機種を変える時、アドレス等ちゃんと新しい携帯に入れてくれるので使う必要がなくなりました。

富士通のパソコンFMVシリーズ

★☆2002年 富士通のPC来る☆★
2002年3月
FMVシリーズ FMV DESKPOWER C9/200WLT
Pentium(R)  CPU 20.00GH2
256MB RAM
C:  66.0GB  D:  10.0GB
OSはWindowsXP

 XPが出てすぐだったので、もう一つ後の方がトラブルが解消されて良いということはわかっていましたが、その前のPCが長く使っていたのと、この頃はかなり画像処理の作業などが多くなっていて、とても間に合わないし、待てなくて買ってしまいました。

 やはり、いろいろとトラブルが続き、ウィルスソフトとうまく合わなくて壊れてしまい、リカバリしたりもしました。でも、だんだん修正されてトラブルもなくなり、このPCを2006年まで快適に使っていました。
PhotoshopやIllustratorなどを使うとき、両脇にパレットをおくと、作業画面が広く使えるかと思って横長のディスプレーを選びました。

 このときの周辺機器
≪プリンター≫ EPSON PM-950C
≪スキャナー≫  
   EPSON GT-9300UF
≪デジカメ≫    
   Canon Power Shot S40

2009年4月22日水曜日

初めてのパソコン講習

★☆2001年9月11日にインストラクターの講習を受ける☆★  
 この頃は、周囲でもパソコンを始める人が多くなり、少しだけ早くパソコンを始めていた私は、いろいろと聞かれるようになりました。自分でやるのとは違って、初めての人に解るように教える事の難しさを感じていた頃だったのです。丁度その時、PCのインストラクターの講習があることを知り、早速申し込みをして受講しました。

 第一日目は、あの「アメリカ同時多発テロ事件」が発生した日でした。航空機によるテロとしては未曾有(みぞう)の規模であり、全世界に衝撃を与えた事件です。
ニューヨークのビルが崩れていく様をテレビのニュースで見て本当に衝撃的でした。
毎日、講習が終わって帰ると、夜遅くまでニュースを見ていた記憶があります。
この日は、忘れられない日になってしまいました。

 講習の内容は、PCの操作というより、トラブルが起きた時の対処の仕方、話し方、説明の仕方などが主でした。それまではWord EXcelはあまり使っていなかったのですが、これから先はWord、Excelをよく使うようになりました。メールにファイルを添付したりする場合、互換性があって便利でした。

フレッツISDN & ADSL 

★☆2000年に「フレッツISDN」、ADSLが登場☆★ 
 2000年(平成12年)「フレッツ」シリーズの元祖となる「フレッツISDN」が登場しました。ISDN網を使用する定額制アクセスサービスです。同じころADSLが登場し、電話回線がアナログのままの人は一気にここでADSLに切り替えた人が多いと思います。ADSLは早いけど安定性があまりなかったようです。ポイントから近い場所は早いけど、離れた場所は速度が落ちるとか。でも、かなり普及したようです。  
 
 私は、すでにISDNを使用していたので、途中の回線がデジタル化されていてADSLは使えないと言うことでしたので、しばらくそのまま使っていましたが、この頃はインターーネットを良く使うようになっていましたので、2002年、「フレッツISDN」に切り替えました。と同時に フレッツ専用のプロバイダー「QUOLIA」に入会しました。 

 近い将来、まだいつになるかわからないが、「光ファイバー」ができるということを聞き、次は「光ファイバー」にしようと思ったことを覚えています。光ファイバーがどんなものか、その頃は全然わかっていなかったと思うのですが・・・・。

★☆初めての携帯電話を持つ☆★
 2000年8月11日から南アルプスの「仙丈ヶ岳」に登る予定があり、その時の連絡のために携帯電話(au)に加入しました。
 丁度アルプスに登る練習で四国の山に登っている時、この「フレッツISDN」の契約の連絡をした記憶があります。その時も、連絡が途切れたり、また繋がったりしながら契約を済ませました。
 
 南アルプスの場合も、頂上からは携帯電話は使えましたが、登る途中はほとんどだめだったのです。でも、携帯電話のおかげで、別行動しててもすぐ合流でき、本当に便利なものだと思いました。
帰りに京都によって「大文字焼き」を見て帰りました。

★☆日本とアメリカのPC事情☆★
 UCLAを卒業してアメリカから帰ってきた娘は、1999年4月より京都の大学院で学ぶことになりました。UCLAではPCが全てWindowsだったので、それにすっかり慣れていたのですが、日本では大学関係など特にMacが主流でした。慌ててMacのノートパソコンを買った記憶があります。

Windows98発売

★☆1998年 Microsoft Windows 98 が発売される☆★
 1998年7月、日本でMicrosoftからWindows98というOSが発売されました。Windows95の発売のときみたいな大騒ぎはなかったのですが、後々わかったことだけど、Windows98からパソコンを始めたとういう人が結構多かったような気がします。
その1か月前に発売になった英語版をさわったことがありましたが、Windows95を使っていると何となく解ったので、いろいろと開けて見た記憶があります。
 
 私も早速98を入れて使い、2000、2000Me は使わず、次のXPが出るまで使っていたので、結局一番長く使ったOSになってしまいました。
 
ソフトも今のOfficeとほぼ同じ形態のofficeが使われており、インターネットソフトInternet EXplorer 4.0をOSに統合してありました。
これでますますインターネットが便利に使えるようになったのです。

★☆アメリカのPCがWindows98に変わる☆★
 1998年だったとおもいますが、ある日、娘が日本語でメールをしてきました。UCLAのパソコンが全部新しく変わって、IBM、Macが全部なくなり、全てWindows98になったとのこと。
 それに、日本語のソフトが入ったPC、中国語などいろんな外国語のソフトが入ったPCがそろえられたとのことでした。おかげでそれからのメールは日本語でやり取りができるようになり、1999年3月にL.Aを離れるまで、不便を感じることもなく過ごせました。

 アメリカのクリスマスツリーやカラフルなグッズのHPのアドレスをメールで送ってくれました。開けて見てびっくり!この時、こんな素敵なHPが作ってみたいと思いました。 いろんなHPのアドレスを送ってくれるので、開けて楽しんでいました。娘を通してアメリカのPCの普及、インターネットのすごさを感じていました。
 卒業式に出席の為、1998年6月にL.Aを訪れた時、サンフランシスコのシリコンバレーで働く方のお宅を訪ねたことがあります。ここがシリコンバレーかと思いつつ通って行ったことを思い出します。
以前にも2回ほど通ったことはありましたが、そのころはあまりPCを利用してなくてシリコンバレーが何かもあまり知らなかったのです。

NIFTY-Serveに入会

★☆1997年8月ニフティーサーブに入会する☆★ 
 1997年8月、ニフティーサーブのIDを取得して利用するようになりました。この頃、ヴォランティアでPCを使って本を点訳していたのですが、点訳ソフトの新しいヴァージョンがニフティーサーブからダウンロードできるということで入会したのです。 

★☆NIFTY- Serve☆★ 
 ニフティのパソコン通信サービスは、1987年4月に「NIFTY-Serve」としてスタートしました。この従量コースに入会。月210円(税込)の基本料金とアクセスした分の料金を払い込むコースです。 後のNIFTY SERVE(ニフティ サーブ)で提供していた月額210円(税込)の料金コースです。
NECが運営していた「PC-VAN」(2001年サービス終了)とともに、この頃はパソコン通信を代表する商用サービスとして利用者が拡大していた時期です。

 ニフティーは1992年9月にはWIDEインターネットとの相互接続実験を開始し、インターネットとのメール送受信に対応。1996年1月にはインターネット接続サービス(ダイヤルアップPPP接続サービス)を開始。1999年11月には富士通のインターネット接続サービス「InfoWeb」と統合し、新たに「@nifty」としてサービスを開始しました。 
 
 1997年に取得したIDとパスワードは、その後、点訳を中断してからは長い間使わないまま放置しておりました。月210円はずっと何年間も払い続けていたということです。途中、何度がWebで解約しようと試みたのですが、Webでも電話でも解約できなくてそのままになってしまって・・・・。

★☆再びニフティーを利用する☆★ 
 2007年ころ、ニフティーもいろいろ変化しているので、たぶんIDとパスワードはもう使えないだろうと思いつつ、もう一度解約しようとHPで調べてみました。すると今度は、その時のIDとパスワードがすんなり使えたのです。どうしてか解らないままに、また、2007年ころから10年振りに使っております。
 
 使い方は主にオンラインストレージサービスなどを使っています。
ファイルを共有したり、Webに大事なファイルを保存したりするのに便利に使っています。 またWebアルバムを作って共有しています。

2009年4月21日火曜日

Windows95搭載のパソコン

★☆ 1995年 Windows95 & NEC PC-98NX & 富士通PC ☆★
1995年、Windows95が発売。Windows95は、私にとってとても衝撃的でした。今まで苦労して勉強してきたことが全て無駄だったような気がして・・・・。この時期からパソコンを始めたら良かったのにと思ってしまいました。 

1996年5月、富士通のパソコンを購入し、Windows95をインストールして使い始めました。かなり使いやすくなったのですが、富士通のPCに慣れていないので、少々戸惑いつつ使い始めた年でした。でも、やはりWindows95は素晴らしく使いやすくて、どんどんパソコンを利用するようになっていきました。
この頃から、電子メールのアドレスを持つ人が増え、メールを良く使うようになりました。

★☆NECのPCがDOS/V対応に☆★
1997年10月NECからPC-98NXシリーズが出ました。これは今までのPC9821シリーズにはない、PC/AT互換機ベースのPCで、いわゆる「DOS/V」に対応していました。今までのNEC独自仕様の「MS-DOS」ではなくなったということです。

これで、他のパソコンで作成し保存したファイルが、使えるような互換性は保たれたのです。 他のPCのデータが読み取れないことがあり、不便を感じていたので、早速これを購入することにしました。NECの中では3台目のPCです。Window95を搭載し、とても使いやすくなっておりました。 今までの一体型ではなくてディスプレーとHHDが別々に分かれているPCです。 

★☆ファイルの保存にCDが登場☆★
ファイルの保存にCD(650~700MB)が使えるようになり、画像のデータの保存などにはCDを使うことがほとんどでした。 
テキストの保存には、今まで通りFD(14KB)が便利でしたが、大量になる場合はMOーDISK(640MB)を使うことも多く、この頃には、パソコンでやれる仕事の内容も充実しておりました。

イラストを使ってチラシを作成したり、名簿、資料の作成、簡単な新聞みたいなものを作成したりと幅も広がっていきました。 パソコンを利用する頻度も多くなりこの頃は、もう、なくてはならないものになっていたように思います。
でも、今のPCからすると、動作は遅いし、すぐ固まるし、とても考えられないスピードでした。

★☆アメリカのパソコン事情☆★
 1996年、カリフォルニア大学UCLAに留学中の娘からのメールや話で、この頃の大学は、全学生がメールアドレスをもらい、もうすでにPCを使って授業を受ける申し込みをしたり、大学からの連絡もすべてメールだったようです。 まだこの頃は、IBMとか、Macのパソコンが主流でした。

自分のパソコンを持っていない娘は、一日に一回は大学に行ってメールチェックし、ついでに、こちらへもメールをくれました。最初の頃は、日本語のソフトが入っていないので、英語かローマ字でのメールのやり取りでした。

★☆1996年 初のデジタルカメラを購入 SONY DSC-F1☆★
1996年発売の「SONY DSC-F1」通称サイバーショットの1号機。レンズとフラッシュが180度回転し、1.8型の液晶モニタを本体背面に搭載していました。コンパクトなデジタルカメラが発売になったというので、以前から興味があって購入したのですが、あまりデジタルカメラが知られていない時期で、普通のカメラとどう違うのかが解ってもらえなかったことを覚えています。

画素数もまだまだで、印刷するとあまり良い写真ではなかったのですが、嬉しくて夢中になって撮っていました。このカメラから写真にも少し興味が出て、いろいろと撮っていくことになった記念のカメラです。

インターネット時代の始まり

★★1995年インターネット時代の始まり☆★
 1994年頃は、パソコンがNEC(PC-9821シリーズ)だったのもあり、インターネット通信は「PC-VAN」の会員になり、「PC-VANナビゲータ(Ver1.31)」をインストールしてインターネットを利用していました。 OSはまだ日本語Windows3.1のころです。
 
 この頃は、仕事関係のネットを経由して、PPP接続でインターネットを利用していました。この頃だったと思いますが、日本の会社や企業がこぞってHPを作成し始めている時で、毎日新しいHPがアップされ、更新されていっていたのです。
「工事中」だったHPが、いきなりどーんとできあがっていたり、毎日ワクワクしながら開けて、その様をのぞいて楽しんでいた時期です。

★☆初めて電子メールを送る☆★
 1995年10月3日、初めての電子メールを送った日です。インターネットはしていてもメールする相手がいなくて・・・。 NTTのイベントでIT関係の方が、いろいろと質問に答えてくださって、「また解らない事があったらメールしてください。」と言ってくださったので、たぶん質問だっと思います。

★☆愛媛新聞社のアクセス愛媛☆★
 1994年頃、愛媛新聞社による「アクセス愛媛」が、愛媛新聞記事データーベース、いつでも読める愛媛新聞速報ニュース、その他の細かなニュース等を提供していました。
これに登録してネット会員となりました。loginはMS-DOSで入ると「アクセス愛媛」のトップメニューが出てきて、情報の閲覧はもちろん、メールやチャットもできるようになっていました。
料金はID一つに対して個人450円、法人1,500円。記事データベースは1分が50円。

 一度、HPを作るというイベントがあり参加したことがありました。いきなり、すべてソースを書いて作るので、プロフィールと写真をアップするだけのHPでしたが、とても大変な作業だったことを記憶しています。

★☆PC=VANからBIGLOBEに移行☆★
 1996年7月に「PC-VAN」から「BIGLOBE」の会員に移行し本格的なインターネット時代に突入です。それまでは、普通の電話回線を使ったアナログ回線でのダイヤルアップで接続していたのが、デジタル化されISDNで速度もかなり速くなりました。

★☆アメリカのパソコン事情☆★
 1994年アメリカへ娘が留学しました。9月入学ですが、このときはPCではなくワープロを持って留学したのです。まだPCを使っていなかったのと高くて~、10万円台だったワープロにしました。
大学への提出は全て手書きではなくワープロで打ったものしか受け付けてもらえないのです。行ってみるとアメリカではPCはかなり普及していたようでした。

初めてのパソコン

★☆1991年 初のパソコン(NEC:PC-98NOTE/SX)☆★
 1990年9月中旬発売されたPC-9801NSは、別名「98NOTE/SX」とも呼ばれ、初のハードディスク内蔵のPCでした。当時は未だ、ハードディスクが一般的でなかった時代です。
 
 PC-9801NSには3.5インチFDD(フロッピーディスクドライブ)は一つしかないので、アプリを動かすために内蔵のRAMがRAM-DRIVEとして使える様に設計されていました。 それに16ビットの上はなかなかできないといわれていたのに、これは32ビットでした。

CPU=386SX(12Mhz)
ディスプレイ=CFL液晶(モノクロ) 
OS=MS-DOS3.0
メモリー(標準RAM)=640KB
ICカードドライブ=なし
重量=2.95kg(HDD含む)

プリンター  エプソン AP900
モデム OMROM ME-2496P

 何が何だかわからないまま触っていた時期です。
ノートパソコンが出たというので買ったけど、パソコンが初めてなのにいきなりノートパソコンにして使い方が解りにくくて、すごく苦労したことを覚えています。2台目はNECのPC-9821シリーズに買い替えて使っていました。

 本もないしパソコン教室もない頃で、あまり活用していたとは言えません。
最初の頃は、ワープロの代わりに使っていただけだったような気がします。この頃はまだMS-DOSで一つのソフトを立ち上げるのも準備が大変でした。

 ソフトに「Works」というのがあって、Worksには、①ワードプロセッサ(.wps) ②スプレッドシート(.wks) ③データベース(.wdb) ④通信(.wcm) の4つの機能がありました。

 今でいう ①Word(.docx) ②Excel(.xlsx) ③Access(.accdb) ④通信ソフトにあたるものです。 
その他には「一太郎」を、ゲームでは「テトリス」をインストールして使っていました。
編集などもすべてショートカットキーで実行し、作成したファイルの管理もコマンドで管理していました。

今から考えると、とても不便で大変な作業のように思われますが、そのころのワープロの機能からするとこれでも、相当便利な機能を持っていると感じたものです。

 1991年頃は、HDDを購入すると、各メーカーが作っていた「ランチャーソフト」がついてきて、メニューを出すのが最初のころからすると、随分楽になりました。

 1992年頃からは、ICM社のEOSystem(Easy Oprating System)が出て、これを使うようになって随分便利になりました。 このとき良く使っていたソフトは、JUST.Systemsの「一太郎dash Ver1.0」、翻訳支援ソフトのマイトランサーEJ。
EOSystemは、ヴァージョン3.0で終了したようです。 

ウェブ進化論

「ウェブ進化論」というタイトルに興味があり、昨年(2008年)1月に読んでみました。

「ウェブ進化論」梅田望夫  第一刷発行 2006年2月10日

発行されてから、2年遅れで読んだことになりますが、私にはとても新鮮で衝撃的な内容に思えたものです。今、インターネット上で起きていることがぼんやりとはわかっているつもりでしたが、もっとはっきりしたような気がしました。
  
 何年頃なのかはっきりしないのですが、インターネットでアメリカのホームページを初めて開けて見た時、あまりの素晴らしさにびっくりした記憶があります。
アメリカのとてつもないすごさを感じた日でした。
その時、いつかこのような素晴らしいHPを作りたいと思ったものです。
 
 そのころから、私にとってはずっと今までパソコンは生活の一部でした。
いやこれからも・・・。
パソコンの進化の激しさに戸惑いながらもここまで来ましたが、振り返ってみて、少し整理してみたいなと思うようになったのです。
パソコンの歴史がまさに私の歴史でもあるような気がするのです。
時間を見て、思い出しながら最初に始めたときから、今までの私のパソコン歴をこのブログで整理してみたいと思います。

2009年4月20日月曜日

ブログ再開

一度2005年にブログを作成。2009年8月まで4年あまり続いていたのですが、最初の目的とは大きく内容も変わっていき、何となく書いているのに気づいて止めてみました。
しばらくそのままにしていましたが、自分の考えをまとめるのにはブログを書くことが丁度良いかなと思い、8か月振りに再開してみることにしました。

 丁度、いろんなことを変えて行こうとしているこの時期だからこそ、ブログが必要かな?と思えるのです。いろんな人の考えも聞きたいし~。どういう方向へ行くのやらわからないのですが、まずは出発!